理系と文系って結局どっちが偉いの?

 どうも、ザギールと申します。

本日で書き始めて5日目ですね。結構続いてますね。自分でもびっくりです。

やっぱり僕って文章書くのが好きなんでしょうね。だからこれだけやめずに続けられてる感じがします。なので皆さんもブログ始めてみましょう!結構ハマると楽しいですよ。

 という訳で本日の話題。「理系と文系って結局どっちが偉いの?」ですね。

これまたかなり壮大なテーマですね。これに関してはまだ完璧な答えが見つかっていないので、今回の記事では僕なりの見解を引用も含めて説明できたらなと思います。

 理系と文系。誰にでも聞き馴染みのある言葉ですよね。高校で文理選択の経験をした人がほとんどだと思います。

世間ではやれ理系は偉いだの、文系は遊んでるだけ、社会の役に立ってない。なんて声が多いですよね。

まあ実際のところ、理系の人は国公立大学の人が多いので学費も安く済んで経済的にも親は助かるんですよね。もちろん私立理系の人もいますし、そこに対して差別する意図はないんですけども。

 それに対して文系は、法学部とかでは国公立文系の人も多いですが、ほとんどの人が私立文系ですよね。いわゆる私文というやつです。

「あそ文学部」なんて揶揄されることもありますね。まあ実際授業飛んだりとか、友達とぺっちゃくってるだけの人も多いですからね。そういうイメージを持たれてしまうのも無理はないです。

 詰まるところ、どれだけ社会の利益になっているか、家庭内においてはどれだけ経済的かっていうのが重要視されがちなんですね。まあ当然の流れではありますけども。

しかし、学問の本質っていうのはそこじゃないんですよね。こっからは結構難しい話になるんで、まあ「ほーん、そうなんかー」ぐらいに思ってくれて大丈夫です。僕もまだまだ知識が浅く若造なんで、多分間違ったことを言ってる可能性もありますが、現段階での僕の考えをお伝えできればいいなと思います。

 まず結論から言いますと、理系と文系に偉いもクソもない、というのが僕の見解です。

おいおい待てよ、さっきまでの話は何だったんだよと言いたくなる気持ちも分かりますが、まあ話を聞いてください。

 ここからは僕の実体験に基づく話になりますので、おめえの体験談なんて興味ねえよ!って方は全然飛ばしてくれて結構です。そこまで大事じゃないのでね。

 まず僕自身はゴリゴリの文系です。

なので数Ⅲとかは全然分からないし、化学とかもちんぷんかんぷんです。

ですが高校の時の文理選択では2年次、3年次ともに理系選択をしたんですよね。意味分かんないですよね。バリバリの文系なのに。

これには少し理由があって、まず僕自身、父親が理系なんですね。前提として。

仕事も研究開発職なので、子供の頃からずっと機械に囲まれて生活していた訳です。

実際父は当時(10年前くらい)にしてはかなりIT関連に詳しかったので、スマホを持ち始めたのも早かったですし、小学生の頃から家にiPad(本当に出たばかりの物)があって、僕も使ってました。

そして僕には兄がいて、兄もまた機械が好きでよく子供の頃からパソコンを触ってたのを覚えてます。現在もデジタル、IT関連の仕事に就いていますしね。

てな感じで、身近な人がみんな理系だったんですね。なので自分も理系の方が良いのかなあって思った訳です。理系の方が収入が良いみたいな話も聞いてたので。

ですがいざ実際2年になって理系クラスに入ってみたところ、まあこれが分からないんですよね。何にも。正直全く授業について行けませんでした。

自分で言うのも何ですがそこそこの進学校に通っていたので、授業のレベルも高く、1ヶ月くらいで完全について行けなくなりました。

5月考査の結果も散々でしたし、正直かなり焦ってました。

今から文転しても間に合うんだろうか。いやまだ決めつけるのは早い、もしかしたらちゃんと勉強したら分かるようになるかも。なんて毎日考えてましたね。

振り返ってみると、結果的に2年生の時は全く勉強してなかったですね。部活に明け暮れてました。まあ現実逃避してたんでしょうね。

そして3年次の文理選択。ここで大人しく文系に変えておけば良かったものを、なんと僕はまた理系を選んでしまったんですね。痛恨のミス。もうこれで理系を志すしかなくなりました。

その選んだ理由も希薄で、2年と同じままの方が楽だから。2年で出来た友達と別れたくないから。とかですね。まあ、まだ未熟だったんですね。あの時は。

そしてまあ3年になればもちろん勉強もさらに難しくなってくる訳で、いよいよやばいです。本格的にやばいです。

この頃くらいから親と言い合うことが増えましたね。今年受験やのにどう考えてんの!とか、あんな部活(当時軽音部でした)に入ったせいや!てな感じですね。

正直自分でもどうしたらいいか分からなかったです。自問自答の日々でした。まあ、あれがいわゆる思春期ってやつなんですかね。知らんけど。

 でまあ長くなってきたんでまとめますと、結局その後文転しまして、理系クラスの中で何とか勉強したんですね。

それがまあしんどかったですねー、当時は。文系の授業がない訳ですから、自分で勉強するしかないんですよね。

英、国の授業はあっても週2回くらいだし、社会に至ってはありません。なので自分で参考書を買ったり塾に通ったり(当時は東進に通ってました)して勉強するしかなかったんですね。

結果まあ受験は惨敗。志望校はどこも受かりませんでした。まあ、2年生で全く勉強してなかったので当然の報いなんですけども。

でまあこっから浪人生活が始まる訳なんですが、尺的に長くなりすぎるのでまた別の機会に。

 こんだけ長く喋って結局何が言いたかったのかと言いますと、つまり僕は理系も文系も両方経験したんですよね。なかなかレアだと思います。普通の人はこんなことしませんから(笑)

まあ結果浪人するはめになったんで、マジでおすすめはしないです。皆さんはしっかり文理選択考えましょうね。お兄さんとのお約束だぞ!!!(自戒の念を込めて)

 そろそろ締めに入りますね。今回のメインです。

理系と文系を両方経験した僕が辿り着いた結論としては、

しんどかったら逃げろ!!!

無理して続けるな!!!

です。

結局人間楽な方楽な方に行こうとするんですよね。それが自分のためにならないときもありますが、僕的には勉強、学問においてはそれで良いと思います。

「楽しい」って「楽」っていう漢字使いますよね。楽しく勉強できた方が楽な訳です。

なので文系、理系に囚われず、自分が勉強したいと思った教科を勉強してください。文系理系は後からついてくる物です。後になって分かることはいっぱいありますので。

僕がこの話題で一番納得したのは、やはりアインシュタインのこの言葉ですかね。

引用元「晩年に想う/アインシュタイン」https://amzn.to/3b4dfye

これこれであるという知識は、これこれであるべきだ、ということへ直接通じる扉を開いてはくれないのです。こうこうであるということの知識を、いくら明瞭に完全にもつことができても、人間の願望の目標であるべきかを、それから演繹することはできないのです。客観的な知識は、ある種の目的を達成するための、強力な道具を提供してはくれますが、究極的な目標そのもの、およびそれに到達しようとする憧れは、他の源泉から生まれねばなりません。また論ずるまでもないことなのですが、 我々の生存や活動は、そのような目的に相応する諸価値を設定して初めて意味を持つことができるのです。

 かなり難しい内容かと思います。無理やり日本語に翻訳しているのでね。

ここでいう「客観的な知識」というのは理系の人たちが突き詰めて研究する知識、まあ数学の証明やら化学の化学式とかですね。

そして「究極的な目標そのもの」というのがまさに文系の人たちが研究する内容ですね。

法律であったり、倫理、経済、歴史もそうですね。

つまりアインシュタインも言っているように、文系と理系はどちらも無くてはならないもので、相互補完の関係にあるということなんです。なのでそこに優劣はありません。なので安心して勉強してください。

また、「ぴよぴーよ速報」さんという方がこのことについて分かりやすく動画を出してくれているので、それも合わせてチェックするとより知識を深められると思います。ブログの最後にURL貼っておくので良ければ見てみてね。

 と言った感じで今日の記事は締めたいと思います。

今回かなり難しい内容でしたね。明日はもう少し軽めの話題にしたいと思います。

では、ここまでのご精読ありがとうございました。

ぴよぴーよ速報

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